2011年2月21日月曜日

経営の罠

久々に日本語で書きます。それも経営について・・・

日々増殖中の経営に関する本に書かれている”会社が良くなる方法”の中で何が最も優れているかについて書きたい訳ではありません。
経営には恋愛と同じで成功するための正解(ベストウェイ)はないと思っています。
だからと言って答えを導き出そうとする作業を放棄し、経験や感覚、直感だけで経営をすべきとは思っていません。

みなさん日々判断判断の連続、それは仕事に限らずプライベートでもそうだと思います。
どう判断して行けばいいのか?判断に迷いそして人は悩みます。
私も数学の問題を解くかのように ”判断=答えを導きだすこと” だと考えていました。日々正解を出したい、責任のある立場になればなるほど正解を出さなければならないと考えてました。

どちらの人を採用すべき?
どの仕組みを導入すべき?
どちらに投資すべき?
このプロジェクトの目標はどうすべき?
来期の戦略はどうすべき?
中長期のビジョンはどうすべき?
会社の理念はどうすべきか?
やりたいことは?そもそも夢は?
・・・

答えを見つけ出せていないのにに適当に答案用紙を埋めることも、人の答えを書き写すことも出来ます。そしてそれが正解だと思い込むことも出来ます。

気がつくと判断しなければならないという義務で最適な答えを見つけ出すこともせずに判断するようになりました。

知らない状態で判断してうまくいくこともありますし、よく理解していて判断して結果が思い通りにいかないこともあると思います。結果がどちらに転ぶか予想がつかないのが経営の楽しさだと思いますが、判断することが義務となっていくと、知らないことでも知っているという錯覚に陥り、周りの人には判断のプロセスが見えなくなります。自分の中では知っていることと知らないことの境目がなくなり、すっきりとしないもやもやとした倦怠感やプレッシャーが生まれそれが蓄積していきました。
そしてさらにこれはエスカレートしていき、仕事中の思考だけにとどまらず、すべての思考まで支配していきます。かなりのくせ者です。
プライベートでも仕事と同じような判断の仕方をするようになり、家族や友人からも何を考えているのか分からないと言われ、堂々巡りに陥り心が腐っていきます。当然自覚しているのでまたしても答えを見つけるために様々な本を読んだりセミナーに参加したりしますが、答えは見つかりません。

結局 ”無知の知” と対極の状態にどんどんはまって行きます。
一度こうなると様々な事柄に対して偏った見方や考え方になり、自分らしさが失われ、自分のやりたいことすら分からなくなっていきます。
自分では自分の考えが明確だと思い込みたいから自分の考えを知ろうと努力しますが、何も見えてきません。しまいには自分で無理矢理つくったミッションステートメントで自己暗示しようとします。ここまで来ると支離滅裂です。何がなんだか意味不明な状態です。

なぜこういう状態に陥るのか?それは分からない自分を認めないからです。
人に聞かれて答えられないのを恥じて知ったかぶりをするという些細なことに始まりそれがエスカレートして最後は生きる目的すら見えなくなっていく。
すべては無知であること知り、それを外に出すことで解決すると私は思います。

社会活動の中で無知であることを認めないでいると心が鎧をまとい始めます。そして人は本来自分を守ってくれると思ってまとった鎧に苦しめられる。
鎧を脱ぐ方法は、自分が分からないこと(知識、人)、自分でも分からない自分がいるということを受け入れるしかないのです。














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